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好きなものを好きなだけ

ミーハーオタク女子のひとりごと

福山雅治の「故郷」へ足を運んで


MY HOME TOWN
あの日この街を愛し あの日この街憎んだ
旅立つ駅のホームで
(18-eighteen-/福山雅治)

18歳の少年が立った駅のホーム。期待と不安と大きな夢を抱えて故郷を捨てた場所。バイクを売って得た20万円を靴下の中に入れて友達と当時の彼女に見送られた場所。あれから27年、そこには大きな横断幕が掲げられていた。「デビュー25周年 おめでとう!福山雅治さん」と。

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長崎駅に降り立って

福山☆夏の大創業祭2015 稲佐山 に参加するため、私は大阪からのこのことやってきた。格安航空とリムジンバスを乗り継いで辿り着いたJR長崎駅は、言わば福山ファンの聖地である。
福山雅治の人生の大きな分岐点とも言えるであろうこの駅は、彼の詞に登場することも多く、多くのファンの憧れの地でもある。私もファンになってから早5年、例に漏れず夢にまで見た景色を眺め、不思議な気持ちになった。
駅全体がお祭りムードで、シングルのジャケット写真と歌詞が掲載されたパネルがホームのあちこちに置いてあったり、巨大なニューシングルのジャケット写真が展示されてあったり、ファンがメッセージを書き込めるボード(もちろん真ん中には福山本人の直筆メッセージ)が設置されていたり。長崎県全体が福山雅治を歓迎しているような印象を受けた。


憧れの地、稲佐山

稲佐山のライブに参加する」ということの重大さをどう説明すれば理解してもらえるのか私にはわからないが、福山の地元で、彼が一番好きなライブに参加できるということは、この上なく光栄なことなのだ。稲佐山、通称「約束の丘」には私たちファンの大きな夢が詰まっている。

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ライブ中、過去のインタビューVTRが会場に流れた。前回の2009年稲佐山ライブを行う時のこと。地元の青年協会が彼を長崎へ呼ぼうと6万人以上からの署名を集めた。それに対して福山はこう話していた。「僕は故郷に背を向けた。そんな奴を故郷が必要としてくれている。それはプレッシャーにはなるけれど、とても有り難いこと。だから僕は音返し(恩返し)をしなければ」それは25周年という区切りでもう一度自ら帰ってきた彼の心に今もある思いだろう。

ライブの終盤、サプライズでスタッフとメンバー一同から横断幕が掲げられる。「ましゃ、25周年おめでとう!!これからも『心が帰れる場所』でありますように」私はその幕と照れ臭そうに笑う福山(実はサプライズをされるのが苦手なのだ)を交互に見ながら嗚咽を漏らして泣いた。あぁ、福山雅治は愛されている。ここにいるファンだけでなくいろんな人に愛されて生きている。そう思った瞬間だった。


故郷というもの

話は少し変わるが、私は故郷という概念がよくわからなかった。大阪で生まれ育ち、今も実家で暮らしているため『帰る場所』はいつもの家だ。父方の祖母は徒歩10分圏内に住んでいるし、母方の祖母も大阪府内に住んでいる。田舎のばあちゃんち、というわけにはいかない。
別に東京へ出ようとも思わないし、夢を追いかけて故郷を捨てるなどという気は更々ない。だからこそ福山の語る上京エピソードが不思議だったし、とても惹かれたことを覚えている。
今回彼の故郷へ直接足を運び、そこで彼の歌を聞くことで、彼の楽曲に描かれた「長崎」と現実の「長崎」の両方に触れてきた。そして少しだけ故郷というものがわかった気がした。町がどれだけ姿を変えようと、彼の中の「長崎」はいつまでも当時のままであり続けるのではないだろうか。そしてそれが故郷という概念なのではないだろうか。きっと、自分の心の中に変わらずある思い出こそが故郷なのだ。

福山雅治JR九州へ寄せたコメントでこう述べている。「この長崎駅から寝台列車に乗り込み、不安と期待が入り交じりながら聞いたあの日のホームの出発音は、今でも鮮明に覚えています。」今ではそんな彼の楽曲がホームの出発音として採用されている。素敵なことだ。

長崎を離れてから魅力に気付いた自分の愚かさ。そんな自分をまた温かく迎え入れてくれる故郷への感謝の思い。福山雅治の『心が帰れる場所』で行われたライブはまさしくそういった思いが絡み合ってできた非常に美しいものだったと思う。参加することができて本当に幸せだった。
彼は何度も「ありがとう」と言って会場を後にしたけれど、敢えて言わせて欲しい。こちらこそありがとう。私をここに連れてきてくれて、あなたの故郷まで連れてきてくれて、そして、私に故郷を愛するということの尊さを教えてくれて、ありがとう。