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好きなものを好きなだけ

ミーハーオタク女子のひとりごと

ホグワーツに入学できなかった、あの頃の私へ 

ハリポタ

 

※「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」のネタバレを含みます。


小学生の頃、魔法界は私の居場所だった。
学校で嫌なことがあっても、親と喧嘩しても、本を開けば、DVDを再生すれば、そこにハリーがいた。階段下の物置小屋を共に抜け出して、ときめく冒険の旅に連れて行ってくれた。
ハリーは当時の私よりも少しだけお兄さんだったから、彼はいつでも私の手を引いて冒険に連れ出してくれた。時には悩み、時には悲しみ、怒り、恋をし、大切な人を失い……。
ヴォルデモートを倒し魔法界を救った彼に「もう終わりだよ」と手を離されてしまった時には、私は既にホグワーツに入学する歳を優に過ぎていて、ふくろう便は迷子なのかしら? なんて親に笑われた。
私も笑っていたけれど。
本音を言えば、本当に本当にホグワーツに入学したかったし、魔法界はどこかに存在すると頑なに信じていた。
 
大学生になって、バイトの初任給で念願のローブを買い(小学生の頃に思い描いたグリフィンドールではなくハッフルパフのカナリアイエローを身にまとっていたが)、USJに新しくできたWizarding World of Harry Potterに入り浸った。
杖もオリバンダー爺に選んでもらったし、三本の箒でバタービールを飲んだし、ホグワーツと一緒に写真を撮ったし、何ならお手製の入学許可証だって作った。夢が叶ったと思った。
だけど、心のどこかで、小学生の頃の私が叫んでいた。「ちがう。私の魔法界は、ここじゃない」と。
 
さっき、魔法界はどこかに存在すると信じていた、なんて書いたけれど、隠さず正直に言おう、実は今でもそう確信している。
きっと漏れ鍋みたいに、マグルの世界と魔法界を結ぶ入り口は何箇所かあって、でもマグルの私はその場所に気付くことはできない。
ホグワーツから入学許可証を届けてもらえなかった私は、正真正銘のマグルで(スクイブですらないなんて!)、魔法なんてこれっぽっちも使えないから、きっと一生魔法使いたちと交わることもなく生きていくんだろうなあ。
ホグワーツを卒業する歳も過ぎてしまった私が、そう思っていた矢先の「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」だった。

同じくハリポタ好きの友達と公開日に席を取って、ハッフルパフのネクタイと愛するニンファドーラ・トンクスの杖を握りしめながら、スクリーンと向かい合っていた。
本当は少し不安だった。コアなファン以外からも受け入れてもらえるのか、ニュート・スキャマンダーのキャラ立ちはどうなるのか、ハリポタキャラの過去は新しく描かれるのか、ジョニデおたくの友達は隣で死にやしないか、と。
だけど、そんな心配をしていた自分を恥じるくらい、映画は楽しかった。素敵だった。舞台国と時代は全くちがうけれど、私の憧れた「魔法界」がやっぱりそこにあって、嬉しくて懐かしくて切なくて少しだけ泣いてしまった。
 

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鑑賞後は友達と「グリンデルバルドしんどい…」なんてオタトークをしながら酒を飲んで(ハリポタを観てお酒が飲めるというのも驚き。あの頃はココアが旅のお供だったのに)家に帰ってふせったーに感想をぶちまけて幸せな気分のまま眠り、そのあとしばらく、熱に浮かされたようにファンタビのことだけを考えていた。
そして、ふと気付いたのは、ジェイコブというノーマジの存在だった。

ジェイコブは魔法界なんて知らないただのおじさん。パン屋を開くことを夢見つつ、現実を突き付けられてしょげているおじさん。私と何ら変わりのないただの非魔法族。
彼はひょんなことからニュート・スキャマンダーと愉快な魔法使いたちとの「冒険」に巻き込まれていく。

そう、これだ。
私は思わず飛び上がって叫んだ。
彼の存在こそが、魔法使いになれなかった私たちの最後の希望なんだ。ホグワーツへ入学する日を待ち望んでも来ず、もう一生魔法使いとは関わることなくマグルの世界で生きていかなくちゃならないと、そう諦めていた私たちへの一筋の光なんだ、と。
マグルの大人になってしまった私ですら、まだひょんなことから魔法使いと遭遇して「冒険」に連れて行ってもらえる、その可能性もあるんだって。まだまだ諦めるには早いぞって。

ローリング女史がそこまで考えたとは思ってない。視聴者により近い非魔法族を置くことで、映画においての説明をしやすくしただけかもしれない。
それでも、やっぱり私は嬉しくて、まだまだこれからもふらりと魔法界に足を踏み入れてしまう、その瞬間を夢見て生きていこう! とダメな大人のようなことを思った。

今回の映画は、賢者の石を守る必要もなければ、秘密の部屋も開かれず、アズカバンから囚人が脱獄してくることもなかった。一見すれば平凡で、魔法生物の可愛さだけで成り立つ映画だったかもしれない。
だけど私にとっては、ジェイコブを通して魔法使いと「冒険」できる、最高の132分だった。ハリポタシリーズにおけるヴォルデモートとはまた違うタイプの闇の魔法使いグリンデルバルドが登場し、魔法省はやっぱり助けてくれなさそうだし、これからどうなるのか、どうするのか、今からまだ見ぬ冒険にわくわくしている。まるで、そう、ハリーと一緒に冒険に出かけた時のように。

魔法は、その魔法をかけた魔法使いが死ぬまで有効だ。だから、私たちはローリング女史という最高の魔女が生きている限り、ずっと魔法にかけられて生きていける。そんなことを思った夜でした。